井上馨
天保6年(1835)~大正4年(1915)
明治大正期の政治家。文久2年(1862)12月には、高杉晋作、伊藤博文らと英国公使館を襲撃するなど攘夷急進派として活動。
しかしながら、文久3年(1863)に伊藤博文らとロンドンに留学し、開国の必要を悟った。
翌元治元年(1564)4月四国連合艦隊の下関攻撃の計画を知り、急遽帰国、英国公使パークスと藩当局の調停に奔走した。
慶応元年(1865)正月、高杉晋作が諸隊を率いて政権奪取をめざし長府の功山寺で挙兵した際には、山口鴻城軍総督として参戦し、佐々並で保守派の藩政府軍を破り3月に藩論を回復した。また、翌2年(1866)の四境戦争では、芸州口参謀として戦勝した。
維新後は新政府においては、外務大臣などを歴任し、欧化政策(鹿鳴館時代)を推進し、退任後は元老としても活躍した。
政界のみならず財界にも大きな影響力を持った。
長州藩のイギリス留学生(光市伊藤公資料館蔵)
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