幕末維新関係資料等データベース
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養老館跡
管理番号 | C024003580 | 登録日 | 2009-03-27 15:41:27 |
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資料分類 | 写真 | 作成者・宛先 | - |
作成年代 | - | 収蔵施設 | 岩国徴古館 |
目録名 | 岩国徴古館資料目録 | 目録整理番号 | Ⅹ-3a-0052 |
数量 | 1枚 | - | - |
内容
その他: 岩国藩では、錦帯橋創建の英主、広嘉公のころから既に教育の振興と人材の養成を藩治と定めていた。真の学校の形としては、宝暦4年(1754年)2月、経永公の時に横山講堂が、文化9年(1812年)9月、経礼公の時に錦見講堂ができ、経幹公の時に至っては、藩庁の東に藩校として養老館が、弘化3年(1846年)6月に施行され、翌弘化4年(1847年)に開校した。文学や武芸を教化とし、孝試の制度により、士族の養成に努めた。また、年少者の素読寮も兼ねていたが、慶応2年(1866年)1月28日夜、火災によりおしくも焼失した。藩校養老館の規模、教義などを詳しく記した「養老館記」碑文は、現在岩国小学校校地内南側にある。