益田右衛門介
天保4年(1833)~元治元年(1864)
幕末の長州(萩)藩家老。元治元年(1864)7月に藩主父子の雪冤陳情のために、家老福原越後、国司信濃と共に手兵を率いて上京したが、禁門の変が起こり、男山に出陣したが敗れて帰国した。
この後、幕府が長州藩の征討を決定すると、長州藩内部では保守派の勢力が台頭し、幕府への恭順の意をあらわすことにより許しを乞おうとし、尊王攘夷派への弾圧が行われた。同年8月福原越後、国司信濃両家老と共に幕府への謝罪のため切腹させられた。年32。
益田右衛門介肖像(須佐歴史民俗資料館蔵)
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