国司信濃
天保13年(1842)~元治元年(1864)
幕末の長州(萩)藩家老。元治元年(1864)7月に藩主父子の雪冤陳情のために、家老益田右衛門介、福原越後と共に手兵を率いて上京したが、禁門の変が起こり、嵯峨天竜寺に陣を進めたが、中立売門で薩摩藩兵に敗れて帰藩した。
この後、幕府が長州藩の征討を決定すると、長州藩内部では保守派の勢力が台頭し、幕府への恭順の意をあらわすことにより許しを乞おうとし、尊王攘夷派への弾圧が行われた。同年8月益田右衛門介、福原越後両家老と共に幕府への謝罪のため切腹させられた。年23。
国司信濃肖像(個人蔵)
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