吉川経幹
文久12(1829)~慶応3年(1867)
幕末の長州(萩)藩の支藩岩国藩主。文教に意を用い、治政に努めるとともに、数代にわたって疎遠であった萩毛利宗家との融和協調を図り、宗家をたすけて国事周旋にも参与した。
元治元年(1864)の禁門の変後、本藩に恭順を説き、広島の幕府軍のもとに行き、謝罪を周旋し、長州藩を焦土の危機から救った。
慶応2年(1866)の四境戦争(第二次長州征伐)では、芸州口に家兵を出撃させ、宗藩の遊撃軍とともに戦い勝利をもたらした。
吉川経幹肖像(吉川資料館[岩国市]蔵)
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