月性
文化14年(1817)~安政5年(1858)
幕末の勤皇僧、詩人。オランダ軍艦を見て衝撃を受け、諸国を遍歴して勤王の志士らと交わり、海防の策を講じたので「海防僧」と称せられた。
自宅に清狂草堂(時習館)を開き、子弟を教えた。
村田清風、吉田松陰などと交わり、久坂玄瑞など長州藩の志士たちに影響を与えた。
「男児志を立てて郷関を出づ、学若し成る無くんば復た還らず、骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り」の詩は、月性が、27歳で大阪に遊学したさいの作。
月性肖像(柳井市月性展示館蔵)
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